「文章を改善する」

文書管理ツール Notion に、エーアイを用いた様々な機能が導入されたことは大きな話題になりました。そのひとつが、文章をワンクリックで読みやすくする「文章を改善する」機能です。これを初めて使ってみたとき、僕は「あ、これ嫌いだな」と思ったんですよね。便利とか要らないとかではなくて。

たとえば、この段落はこのように「改善」されます。

Notionという文書管理ツールには、AIを用いた様々な機能が導入され、それが大きな話題になっています。その中でも、文章をワンクリックで読みやすくする「文章を改善する」機能があります。しかし、この機能を初めて使ってみたとき、私は「あ、これ嫌いだな」と感じました。それは便利かどうか、必要かどうかではなく、ただ単に私自身が好みでなかったからです。

この例では、あまり改善された気がしないですね…。いや、まあ、明らかに改善されることもあるんですよ。たとえば雑に書いた技術的なメモはけっこう良くなります。なので、便利ではあるんですね。

でも、便利とかそういう理性的な反応ではなく、感情的な「嫌い」が先立ったということを、令和初頭の素直な感想として残しておこうと思うわけです。


言葉には、たとえば微妙な感情の動きが反映されるわけじゃないですか。伝えたい情報が伝わればオッケーオッケーみたいなものではないわけです。言わば、その時々の自分自身のスナップショットですよね。もちろんきちんと推敲することもあるけれど、それはそれで、その時の考えや感情が反映されています。

そういうものを機械に「改善」されて良いものか。たしかに読みやすくはなるかもしれない。けれど、それはもう自分自身ではないんですよね。「たしかにその方が良く見えるかもしれない… けど、多少不格好でも、俺は俺自身であることを選ぶぞ!」みたいなね、そういう気持ちにならないですか。

もちろん我々は既に多くのものを機械に明け渡しています。ケータイの予測変換とか最初は気持ち悪かったね。でも今ではバッチリ活用しています。それで結果的に自分自身が損なわれたということもない。言葉に何かが宿っているという気持ちはきっと幻想なんでしょうね。

でも、自分ならではの何かが確かに存在し、それをたとえば言葉として残すことができるということ、それはやっぱり信じていきたくないですか?