戦場のメリークリスマス

君たちはどう生きるか』を観ました。この作品については、僕が何かを書く必要はないと思います。

ひとつだけ。いろいろな議論や考察を読んでもやっぱり、僕にとって今年一番インパクトがあった映画作品ということはなさそうです。じゃあそれは何かというと、映画館で見たものの中では… 『戦場のメリークリスマス』です。なので、その話をします。


このセクションには『戦場のメリークリスマス』のネタバレが含まれます。

戦場のメリークリスマス』は、そのタイトルが示す通り、キリスト教の話です。今どき「メリークリスマス」でキリスト教を意識することなんてほとんどないと思いますが、「戦場」すなわち1940年代には「メリークリスマス」ははっきりキリスト教の語彙だったんですね。

ハラ軍曹(ビートたけし)は本来はけっこうきちんとした仏教徒ですが、時代に合わせて素直に暮らしていて気付いたら帝国軍人として暴力的に振る舞うようになり、そのことに微かに違和感を持ちつつもあまり意識しないように過ごしています。ヨノイ大尉(坂本龍一)は時代の空気で武士道に取り憑かれた異常者で、二・二六事件での処罰を偶然逃れてしまったことから、感情を押し殺した武士道の権化です。一方、ジャック・セリアズ(デヴィッド・ボウイ)かつてイギリス式騎士道の規範を重視するあまり弟を苦しめた経験の反動によって、「こうあるべき」論の呪縛から解き放たれた、規範にとらわれずに目の前の人間と真摯に向き合う存在です。そして、セリアズはそのキリスト教的な愛の力によってハラとヨノイを呪縛から解放します。

特にヨノイ大尉、ここに自己投影する自意識はちょっとどうかという批判はもちろんあるわけですけど、それはともかく無意味な規範意識に縛られて苦しむインテリというキャラクタは馴染みやすいわけです。まあ、僕はインテリってわけでもないし、なにか具体的な規範意識に縛られているわけではないですけど…。それはそうとして(キリスト教的な)愛の力による救済、それが大切なのではないかと、この映画を見て思い始めたわけです。


だから最近、関連する本をいくつか読んでいるんですね。

  • 『沈黙』(遠藤周作): がんばりが足りないと愛されないという世界観はつらいですね。
  • 歎異抄』(唯円 / 川村湊 訳)『100分de名著 歎異抄』(釈徹宗): こういう風に、がんばれなくてもオールオッケーなんだよという世界観でやっていきたいですよね。
  • 『孤独と不安のレッスン』(鴻上尚史): 愛とかいう既存の規範に乗っかる時点で良くない、他人に頼らず自分自身で完結した人間を目指す方が良いという話で、これはちょっとすごいですね。そういう言葉が必要な場合もあることは理解しているけれど、でもそれは「理論的には可能」ってやつじゃあないですか?
  • 『神のいない世界の歩き方』(リチャード・ドーキンス / 大田直子 訳): これは「キリスト教をやめろ」とだけ言っていて、じゃあ救いを代わりにどこに求めるべきかという話を一切していないので、正直良くないと思います。論理と合理性だけでやっていくのは大変ですよね。
  • 『愛するということ』(エーリッヒ・フロム / 鈴木晶 役): これをいま読んでいるわけです。一周読んで、「愛することの先に(たとえ自分自身は誰にも愛されなかったとしても)救いがある」ということの正当化があまりなされていないように感じていて、(伝統的に欧米では自然に刷り込まれてきた)そういう信仰をちゃんと持つことができるかが鍵である気がしていますが、もう一周読んで確認します。

これを推し進めた先で僕がどういう考えを持つことになるのか、まだわからないです。とにかく、そのきっかけが『戦場のメリークリスマス』であったということをここに記しておきたく、この記事を書きました。