僕の知的生産術 (3) 「知的生産の技術」第1,4,5章

知的生産すなわち「人間の知的活動が、なにかあたらしい情報の生産にむけられているような場合」について、前回の記事ではそのプロセスを4つに分解した。しかしこの分解にはまだあまり納得できておらず、もっとよい構造付けや表現がありそうだと疑っている。

「知的生産の技術」は知的生産に関する seminal work だが、知的生産全体を体系的に議論しているわけではない。11章のうち6章までを読み返してわかっていたが、本書のカバー範囲は意外と限られている。

  • 第1~5章: 記録しておくべき現象や着想に遭遇したときに、それを記録し、整理する方法について。どうすればそのようなものに遭遇できるか、記録すべきものとそうでないものをどう区別するか、記録したものをどう活用するかは扱われない。
  • 第6章: 文献を読むときに、記録すべきものを得る方法について。読むときに浮かんだことを捉える方法だが、何かが浮かぶのは前提であり、そのための批判的な読み方や発想法は扱われない。

僕がカバーすべき範囲はこれだけではないようと思うが、それを検討するのは「エンジニアの知的生産術」も読み返したあとにしたい。


第1章では「おもしろいと思うこと、思いついたことを文章ですぐに記録する」ことを提案する。その狙いは以下の通りである。 - 考えのもとになる、記録しないと消えてしまうものを、蓄積して資産にすること。つまり材料を増やすこと。 - 文章にすることで細部を正確に捉えること、見逃していた側面に気付くこと。つまり材料を良くすること。

また、後の検索性と閲覧性のために、タイトルをつけること、インデックスをつけることを提案する。

気になること。

  • 現代では、どこにどういう形式で保存すればよいか?
  • 習慣化するよい方法はないか? 記録の敷居を下げるためにはどうすればよいか?

保存は Notion などのデジタルなデータベースが望ましいように思えるが、それだと外出先で気軽に記録するのは難しい。気軽なメモ的な存在と併用する必要がありそう。


第4章では、資産の分類と検索のために、なんでも規格化することを提案する。たとえば写真は同一サイズの台紙に貼り付けると整理が簡単になる。

Evernote, scrapbox, notion などのツールは世に多いが、何かのツールにあらゆる情報を集約するにはまだ至っていないように思われる。何が問題なのだろうか? それを明らかにするには、一度自分で運用してみて考える必要がありそう。

著者は情報をカード、紙類、写真に分類しているが、ウェブページやメールなどの新しい情報伝達手段が規格化でまとめられる性質のものなのかにはやや疑問がある。


第5章は、情報を必要なときに取り出せるように、垂直式ファイリングを提案する。収められる資料が規格化されること、カテゴリを増やすのが容易なことを利点として挙げている。置き場所や並べ方のルールを定めてその通りに運用せよとのこと。場所は大事だが、コンピュータを使う場合は並べ方は考えなくてもよさそう。

必要なときに取り出すことの重要性を、資料探索の作業によって知的作業の自然な流れを損なわないためと説明しているのがおもしろい。ソースコードのインデントを揃えなくても動作に変わりはないが揃えることでノイズが減り本質に集中できる、という話と同じである。流れをいかに作り出すかが知的作業では重要なのだろう。