僕の知的生産術 (1)

こんにちは。僕は知的生産の仕事をしています。

「知的生産」とは「知的生産の技術」(梅棹忠夫、1969年)で提案された言葉で

人間の知的活動が、なにかあたらしい情報の生産にむけられているような場合

を指します。著者は研究者なので「あたらしい情報の生産」は人類に新しい知識をもたらすことを第一に想定しています。僕は研究開発畑とはいえ民間の技術者なので新しい知見を得ることよりも実用的な技術を生み出すことに主眼がありますが、それもまた情報を生み出すことであり、知的生産といえるでしょう。


「知的複眼思考法」(苅谷剛彦)を読んでいて、これは大変良い本だとは思うんですが、こういうものばかり読んでいていも一時的にちょっと賢くなった気になるばかりで、実際のところは大して前進していないぞ? という気持ちになってきたんですね。

僕もそろそろいい歳だし、他人にただ教えてもらって「ははあ、ありがたいですなあ」と思うだけではダメで、それらを踏まえて自分なりの方法論を確立しなければならない。本から得られる知識は一般論にならざるを得ないところがあり(たとえば「知的複眼思考法」の著者の専門は社会学で、僕の関心がある工学との共通の部分を取り出さなければならない)、目の前にある個別具体的な問題について、それを真似して万事解決ということはないですよね。自分が扱うような問題に向けてアレンジしていかなければならない。


人生でもっとも影響を受けた本は何かというと、「ファーブル昆虫記」(奥本大三郎 訳)だと思っています。観察して、仮説を立て、実験を通じて検証する、これに影響を受けて理系になったところがあります。第2巻のジガバチの話が好きでした。

「ファーブル昆虫記」は時々間違っているのもおもしろいんですよね。たとえばファーブルはアリの行列にフェロモン物質は関係しないと結論付けていて、でもこれは当時それを観測する手段がなかっただけで、現代ではその結論は誤りとされています。こういうことが脚注にきちんと書かれているのも良かったですね。

最終巻が昆虫に限らない話になっていて、女子教育をがんばったら学校から追い出されたりとか、ネコを迷子にさせてみたりとか、おもしろい話が多いのも良いです。デザートとして生のタマネギを丸かじりしていたのはマジかよと思いましたね。


「ファーブル昆虫記」の影響は大きいとはいえ、直接何かの役に立ったということはあまり思い付きません。じゃあ役に立ったのは何かといえば… 「新・受験技法: 東大合格の極意」(和田秀樹)なんですよね。

この本は高校の部活の部室にたまたま転がっていて、勝手に持って帰ってきてよく読んでいました。簡単に言えば東大受験の低レベルクリアの攻略本です。どうすれば最低限の努力でギリギリ滑り込むことができるのか、そのテクニックが解説されています。

でもそんなの、書かれていることに素直に従えばバッチリオッケーってことはまずないですよね。なにせ低レベルでギリギリクリアする方針なので、どこかで少しミスがあっただけで一発アウトです。危険すぎますね。なので現実的には、本を参考にはしつつ、もう少し安全で現実的な道筋を自分自身できちんと考えることになります。

知的生産のスキルを高めたいと思い、いくつか本を読んだりしながらも、それを踏まえて自分自身のやり方を考え直すということをほとんどやってこなかった。そろそろ真面目に向き合うべきであろう。そう思うわけであります。


まずは知的生産の基本的なテーマと技法を理解し、そしてそれを自分自身のケースにアレンジしてゆくと良いでしょう。というわけで、古典的名著「知的生産の技術」の再読と検討から始めていきます。

というか始めています。この記事に先立って第2,3章の整理

parosky.hatenablog.com

をまず書きました。この調子で進め、次いで「エンジニアの知的生産術」を再読し、それから自分自身の求めるものとの差を埋めてゆこうと思います。