エラそうな自分に喝

東京大学の入学試験に合格したときに、祖父はまず「東大に入ったからといって偉いと思うな。大事なのは人間として正しくあることだ」と言った。

僕が生まれたとき、名前にちょっといい漢字を使うという案もあったらしい。しかしそれは、「そんな立派な漢字を使うなんて畏れ多い」という理由で採用されなかったそうだ。(とはいえ実際には、それでもけっこういい字をもらったと思っている。)

そのような家庭で育っているので、身の丈に合った適切な振る舞いをしなければならないという価値観が内面化されている。もちろんその良し悪しはあると思うけれど(何事にも良し悪しはある)、基本的には良いことだと思っている。


名前に「偉」が入った人が総理大臣になったときは「ワオ、この人とはたぶん価値観が全然合わないぞ」と思ったね。


それでも偉そうに振る舞ってしまうことはある。というか、むしろ偉そうに振る舞いがちな傾向があるかもしれない。

誰にだって、ちょっと得意なことや、ちょっと詳しいことはある。一方で、自分自身は特段優れてはいないという意識がある。そういうときに「フツーな僕ですらこれだけできる/わかるのに、なぜ…」という話し方を、無意識にやってしまう。

それってすっごいイヤなヤツだよね。そういうの本当にやめたいと思っている。

得意分野で、素直に調子に乗って「わたしは専門家ですが、専門家としての経験から申し上げますと」という形で偉そうに話してしまうこともある。これは少しは許してもいいかなと思うんだけど、でもやっぱり偉そうだし、基本的には謙虚にいきたいよね。調子乗り芸は適当に否定してくれる人がいないと成立しない。


家の近所に静かな喫茶店があり、なんとなく波長が合う感じがしていて、よく通っている。

店主さんにしか見えなそうな位置に「エラそうな自分に喝」と書かれた紙が貼られているのに最近気付いたので、こういうことを書いた。