この記事は自分なりの知的生産の方法を確立してゆこうという試みの第2弾で、まずは「知的生産の技術」に書かれていることをきちんと吸収しようとしているのですが、第1弾はまだ書いていません。イントロダクションが一番難しいからね。
この記事は後に考えをまとめるための素材という側面が強く、これ単体で読んでもあまりおもしろくはないと思います。
知的生産(思考を通じた情報の産出)は以下のプロセスから成る。
- 情報を集める
- 文献調査や実験など、外界に存在する情報の探索
- 新たな着想を得るための行為
- 情報をすくい上げ、資産として定着させる
- 必要な情報と不必要な情報とを選別する
- 必要な情報を記録する
- 情報の断片を深化させ、新しい情報を導き出す
- 得られた新しい情報を出力する
「知的生産の技術」の第2,3章では、特に (2.2) のための技法が議論されている。すくい上げた情報(おもしろいと思ったこと、思いついたことなど)をどう扱うかのみ議論され、どの情報をすくい上げ、どの情報は捨てるか、といったことはスコープ外である。
情報を捉えるためのツールは以下の要件を満たす必要がある。
- 作業のコストが低く、量産・習慣化できなければならない。
- (3) のためには、見やすくなければならない。
- (3) のためには、断片間のつながりを見出す必要があり、検索と並び替えが容易でなければならない。
「知的生産の技術」の出版は1969年であり、当時の技術水準から、以下の解(京大式カード)が提案されている。
- B6の紙を使用する。
- 片面のみ使用する。厚めの紙を用いる。
- バラバラに切り離された紙(カード)を使用する。
また、以下のように運用する。
- 文化人類学のフィールドワークが想定されている。まず現場では単語レベルの適当なメモを書き、後に宿舎で文章にまとめ直してカードにする。
- 内容を忘れることを前提に、後の自分がわかるように記述する。
- 1枚1トピックを厳守する。日付を入れる。カテゴリも記録するが、後の自由な発想を妨げないように、十分に柔軟にしておく。
思ったこと
- 紙を使わなければならないのか? (a) は紙ではない方がよい(スマホのメモアプリなどが利用できる)一方で、(b) と (c) の一部については未だに紙の方が利便性が高いように思える。検索や並び替えはコンピュータを用いれば一瞬で済む一方で、情報間の非自明な関係を見つける目的では、時間をかけてでも手で行った方がよいのかもしれない。すべてデジタル、あるいはすべて紙で行うか、それともハイブリッドなやり方の方が良いだろうか?
- 音声認識やカメラなどの新しい技術をうまく活用できないだろうか? このあたりは勝間和代が詳しいのではないか
- なぜメモを書いてからカードにまとめ直す必要があるのか? メモを経由せずにカードにしてはいけないのか? フィールドワークの場合は時間的制約からそうせざるを得ない場面が多いと思うが我々はそうではない。いきなりカードにすることで手間が省ける一方で、着想のたびに立ち止まって時間を取ることで発想の自然な流れを損なうのではないかという懸念もある。
- カード間の相互参照のために、通し番号を入れた方がよいのではないか。