罪と罰

最近「罪と罰」と「デスノート」を並行して読んでいます。まったく偶然なんですけど、これらってほとんど同じ話ですよね。どちらも、自分が正しいと信じて罪を犯すものの、正しさはすぐにどこかに行ってしまって「こいつは… 気付いているのか??」と駆け引きを始める。とはいえ、デスノートが主にロジックにフォーカスするのに対して罪と罰は心理を扱っていて、これは決定的な違いではあるわけですけど…。


近所に新しく開店した書店で「罪と罰」の第1巻を買い、読み終えて一週間後に第2巻を買い、そうなると残された第3巻も僕が買うしかないわけです。第1, 2巻が品切れな中で第3巻だけ買う人なんてまず現れないですからね。つまり、第3巻は僕に買われるのを書店で待っているといえるわけです。

太宰治の「葉」の冒頭に、こうあります。

死のうと思っていた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目しまめが織りこめられていた。これは夏に着る着物であろう。夏まで生きていようと思った。

小さなことであったとしても、なにか世の中にまだ求められていることが、やり残したことがあるという感覚を持てるのはよいことです。


ところでこの第3巻なんですけど、そう長い期間を置かず、結局3日後くらいに買ってしまったんですね。

そうしたら「もしかして最近『罪と罰』を連続して買ってます??」と聞かれました。レジの人はいつも違ったと思うんですけど、きっと在庫や売れ行きの情報は共有されているんでしょうね。1冊ずつ買っているのは、別に何度も通いたかったわけではなくて、手元の文庫本ケースに1冊までしか入らないからというだけなのですが…。

ともかく、これでこの新しい店の常連に認定されたわけです。また何度も買いに来るのをおそらく本当に期待されていると思うと、僕はそんなに頻繁に本を買うわけではないですから、しばらく生きていないといけないですね。