雑誌 BRUTUS の特集「珍奇昆虫」を読んだ。半分くらいが昆虫標本の話である。
昆虫標本のコレクションはかなりグロテスクな存在だ。昆虫そのものがグロテスクと言いたいわけではなく、死体を収集して整然と並べ、それを眺めて楽しむということにグロテスクさがある。同じことをたとえば人体でやると相当ヤバいことになる。
これが植物ならほとんど抵抗はない。花屋に行っても正直なところほとんど何も思わない。一方で動物だとやや抵抗がある。昆虫はどれに近い存在なんだろうか。キリスト教圏だと人間だけは他の動物などとは違う特別な存在だから、人体でなければわりと平気なのかもしれない。ところで記事によれば昆虫をペットのように飼育する習慣があるのは日本だけなのだそうだ。愛玩しつつ死体をコレクションする、かなりサイコな国民である。
なぜ昆虫を収集するのか。歴史的には純粋な収集の欲求が先にあり、そして後に研究用途に使われるようになったそうだ。収集が難しい方が価値が高い、切手のような存在であるらしい。ポケモンはかなり近い存在であるように思えるが、殺さないところに違いがある。
ところで物欲ではなく研究の資料として昆虫の情報が必要なのであれば、そろそろ殺さなくても良いのではないだろうか? 研究の際には標本をさまざまな角度から仔細に観察することになる。解剖を行わない場合には、たとえば生きている状態の動画を撮影しておいてそれをもとに任意の視点からどう見えるかを求める問題といえ、これはつまり自由視点映像(画像)である。これは技術的にはかなり進展してきていて、たとえば野球中継ではボリュメトリックビデオという名称で実用フェイズに入ろうとしている。実用レベルの正確さと頑健さを実現するには現状ではかなり複雑な撮影システムが必要になるが、研究レベルでは単なる動画だけからでもハイクオリティな自由視点映像が実現できそうだと報告されつつある*1。これを応用すれば、コンピュータ上で閲覧でき、自由な視点から自由に拡大縮小して観察できるような昆虫図鑑が実現できるはずである。標本ではなくデジタルデータなので研究者間で共有しやすいという利点もある。
もちろん難点もたくさんある。見る角度によっては、たとえば腹部は動画にまったく映っていなくて観察できないかもしれない。実用的な拡大率はおそらくかなり限られる。夜行性の場合は動画が暗すぎて何もわからないかもしれない。などなど。
技術の力で、対象に害を与えないようにしつつ観察を助ける、というのは別に新鮮な発想ではない。たとえば絶滅危惧種のグレビーシマウマの三次元再構成を行う例がある*2。
ところで、同じ技術を人体に適用したとしたら… そこには需要があるのだろうか?
*1:たとえば [Li+ 2021] など